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明帝 (漢) : ミニ英和和英辞書
明帝 (漢)[よう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [みかど]
 【名詞】 1. (1) emperor (of Japan) 2. mikado 3. (2) (the gates of an) imperial residence 
: [かん]
 (suf) man (negative nuance)

明帝 (漢) : ウィキペディア日本語版
明帝 (漢)[よう]

明帝(めいてい)は、後漢の第2代皇帝。
== 生涯 ==

=== 皇太子となる ===
光武帝の第4子。28年建武4年)、生母の陰貴人は元氏(現河北省石家荘市元氏県)にて劉陽(明帝)を産んだ。10歳にして『春秋』に通じ、父に才能を愛された。
39年(建武15年)、劉陽は東海公に封じられる。41年(建武17年)に、郭皇后がそのわがままな性格から光武帝に疎まれるようになり、皇后を廃されて中山太后とされ、陰貴人が皇后となる。この年、光武帝の子のうち、皇太子劉彊を除く九国公は爵を進めて王とされ、劉陽は東海王となる。
劉陽にとって異母長兄である劉彊は母郭皇后が廃されたため、常々皇太子を辞したいと願い出ていた。建武19年(43年)に光武帝は遂に許し、皇太子は東海王となり、代わって劉陽が皇太子に立てられることになり、同時に諱を陽から荘に改めるように命じられた。博士の桓榮に師事し、『尚書』を学習した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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